山本本家の歴史

山本本家の歴史
延宝5年1677

伏見七名水に生まれる

延宝5年(1677年)に伏見七名水のひとつ、白菊水の湧く 現在地にて創業いたしました。
当主は代々源兵衛を名のり現在にいたっております。
伏見七ツ井に生まれる
慶応4年1868

山本本家全焼~再建

1月3日夜半わり勃発した鳥羽伏見の戦いにより、伏見の町は甚大な被害を被り、焼き払いの火のために、山本本家も全焼の憂き目をみました。
現在ある本社社屋は同年に再建したものです。
山本本家全焼~再建
大正時代

関東方面へ販売を伸ばす

伏見は内陸に位置しており、商品の運搬は専ら濠川、高瀬川などの水運を利用していたため、現在のように灘に次ぐ銘醸地として知られるようになったのは明治以降の鉄道や車の台頭による運搬方法が発展してからでした。
そして大正のはじめ頃から東京の問屋と直接取引を開始。関東方面で「神聖」の販路を拡大しました。
関東方面へ販売を伸ばす
大正時代

富岡鐵斎翁より「神聖」の毛筆文字が贈られる

八代目源兵衛は後に自ら道興と名を改め、茶道・和歌に身を投じた風流人で、文化との交流も盛んでした。
富岡鐵斎翁も懇意にしていた文化人の一人で、九代目源兵衛の結婚の折りに、それを祝して鐵斎翁より「神聖」の毛筆文字を贈られました。現在の「神聖」のラベルに使用しています。
富岡鐵斎翁より「神聖」の毛筆文字が贈られる
昭和37年1962

「かあちゃん、いっぱい、やっか」で全国的ブームに

昭和37年(1962年)、人気喜劇俳優の伴淳三郎を起用したテレビCMは「かあちゃん、いっぱい、やっか」というフレーズが印象的で、全国的に「神聖」ブームを呼び起こしました。
昭和51年(1976年)、創業300周年を記念し、富岡鐵斎翁にちなんで命名した「鐵斎」を発売し、昭和55年(1980年)には純米大吟醸「松の翠」を発売。
昭和55年(1980年)には純米大吟醸「松の翠」
昭和41年1966

バイオテクノロジーの賜「源べエさんの鬼ころし」

昭和41年(1966年)にバイオテクノロジーを駆使して純粋酵母仕込みという技術を開発。醸造界最高の名誉である江田賞を受賞いたしました。
その後、さらに研究を重ね誕生したのが「源べエさんの鬼ころし」です。
さっぱりとした飲み口で好評をいただいております。
バイオテクノロジーの賜「源べエさんの鬼ころし」
昭和51年1976

酒蔵を改装した「鳥せい」本店

蔵元直送の酒と旨い料理を気軽に楽しんでいただける居酒屋 「鳥せい」本店を昭和51年(1976年)に開店し、その経営とその後フランチャイズ展開を行いながら食文化を考えてまいりました。
酒蔵を改装した「鳥せい」